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若かりし日

若い時は少しは跳ね返ったり、やんちゃな時代もあったと知り合いの華道家は言います。勉強が好きでエリートコースへ進みとい流れではないので、むしろまったくの反対方向のような勉強や学校での授業なんてまったくわからなくていたわけです。知識や理論立てた頭の中からの武装ができないもんだから体を動かす武装になっていきます。自分自身は自分自身で守らなければいけないという発想は真剣にスポーツやって体を動かすことで身につけた攻守の切り替えとテクニックです。スポーツに打ち込むと途中で逃げたりする事が出来ないし、やったことに対して着実に事実が付いてくる。その事が自分の中の納得と体言化として大きく残っていてそれがいい意味での癖になっているという自負があります。スポーツをすると言うことは、ないも健全なことばかりではありません。単純に若い時の純粋なエネルギーを傾けるいい機会でもあります。相手があるスポーツの場合は特にそうで、会う手をやっつけたいと思う気持ちは時には最高の発散になり、それが結果に結びつくと言うことはさらなる満足も得られます。純然たる動きまわりたいと思う気持ちはエネルギーがほとばしってるそのものです。その時はどうにも出来ないほど触れる力をスポーツにそそぎこんでいました。そして、それが金にもなるのかなと思ってもいました。時にそのちからは、考えを翻したり、反骨精神になったりと他の若者と違わず火山のマグマのような爆発寸前の若い力の塊でした。仲間と議論にとどまらず、時にやりあったり揉めたりやりとりのなかで競い合ったりと、何かと競り合う人を探し求めていたような記憶がまだ頭の中に残っています。それが今思えば華道の道を探求するエネルギーの根源でもあったように思いますなんて話を聞きました。

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